暮れ

  • 2015.12.02 Wednesday
  • 10:48
短大卒なので学生時代ってのが2年しかなかった訳ですが。
学生ってそりゃ、高校生時代も学生時代ですけれど、なんとなく一般的に学生時代の学生って大学生を指していることが多いので、今日ここでの学生時代は、大学生時代ってことでお願いします。

私の母校の高校は、基本的にバイト禁止でね。
よほど家庭の事情がある子でないとダメで、それでも成績が下がったり、赤点を取るようだとダメでした。
そういや、原付も事情がある子はOKでしたけれど、そんな事情のある子もそうそう居るものでもなく、事情を説明して、原付やバイトの許可をもらっている子はいなかったと思います。
ただ、バイトに関しては隠れてやっている子もいて、ばれたら当然、生活指導室に呼び出し。
夏休みとか、年末年始なんかはちらほらとバイトしている子がいたようです。
中学の途中に転校してきた子でほとんどしゃべったことのない女の子だったんですが、バイトがばれて呼び出し食らってね。
その休み時間の後の授業にちょっと遅れてきたんですが、怒られたようで泣いていました。
でも実は、その子はちょっとブリッコ系だったのと、家がそこそこ裕福なのをみんなが知っていたので、「お小遣いもちゃんともらってて、それでバイトしてばれて叱られたからって泣くってね、自業自得じゃん」的な冷めた目で見られていました。
特に女子の目は厳しいのよ笑い

横道にそれましたが、学生時代に私もバイトしてましてね。
2年の冬と言うか、ちょうど今頃でしょうか、1ヶ月の期間限定のバイトをしていました。
それが、この時期の風物詩でもあるお歳暮関係。
デパートだったんですよ、そこが。
このお歳暮シーズンはそれ用のバイトがいっぱいいましてね。
私はもう一人の子と共に、法人外商でバイトしていました。
もうね、何が大変って、延々と宛名書き。
今の時代ならPCでやるんでしょうけれど、その当時はまだ手書きでね。
法人外商だから、一つの事業所で何か所も送るので、A4の用紙に5ヶ所の宛先を書くことが出来る仕様のテンプレに延々と何枚も描きつづける訳です。
平日は学校帰りなので2時間とか3時間で済みますけれど、土日は1日中それなんでもう手が痛いのなんのって。
それでもまだその用紙は、2枚つづりだったからまだマシな方で、たまに個票に書くこともあってね。
宅配業者が使っているような4枚つづりくらいのヤツね。
もうね、4枚つづりって相当な筆圧で書かないと一番下の用紙までちゃんと写らないじゃない。
しかもカーボンだから、普通の紙よりも厚めだし。
これを何枚も書くのってかなり苦痛でね。
いやもう大変でしたわ。
お歳暮特設コーナーもバイトがかなりいましたけれど、そちらの方が接客はしなきゃいけないけれどラクだったかも。
1日だけそちらに駆り出されて応援に行ったんですが、それでもそこの裏方だったので(衝立の裏みたいな)、接客無しだし法人外商で延々と宛名書きをするよりはマシだったかな。
同じデパート内でも全然違う場所なんで(法人外商は事務所エリアにあるので完全に裏方)、売り場の方に行ったのはその時だけでしたが、その時に初めて、そのお歳暮特設コーナーでバイトしている高校の同級生が居たことを知りましたよ。
お互いに、「あれ、いたのはてな久しぶり〜」なんて感じで。
お昼ご飯とか休憩時間とかに社食に行ったりしていたんですが、全然会わなかったもんなぁ。

そう言えばね、デパートだけに隠語のマニュアルみたいなのを渡されたのよね、初日に。
そこのデパートは、お昼休憩を“のじ”と呼んでいて、午後の休憩を“にのじ”って呼んでいましたね。
「のじ行って来て」って感じ。
法人外商って男性社員が圧倒的に多いからか、私ももう一人の子も怒られたりすることもなく、みなさん、優しかった気がします。
単純作業で仕事内容は大変だったけど、職場環境は良かったですね。
平日だろうが休日だろうがバイト終了時間は同じで、ホームで電車を待っていると2つほど隣のホームに寝台特急、今は無きブルートレインが停車するんです。
九州に向かう列車だったけど。
20時くらいだったと思うけど、寒いホームでいつもその列車をぼ〜と眺めていたことを今でも覚えています。
バイトの最終日はクリスマスイブ。
ケーキ片手に家路を急ぐお父さんたちがそんな時間にもまだ駅にチラホラいて。
もちろん、カップルもいたりして。
今で言うクリボッチ状態の私は、寒いホームに一人ぽつん。
けど、バイト最終日でバイト代を現金でもらっていたので懐は潤っていましたよ。
その時に得た教訓、クリスマスとイブは予定が無いなら出かけない・テレビも見ないってことかな。
1人が身に染みますからね〜。

さて、12月になりました。
クリスマスは特に予定もなく、多分普通の日。
ディズニーとか行きたいな〜、行かないけど。
いや、その前に掃除と言う現実があったわ……がく


 

飛行機が渋滞!?

  • 2014.10.14 Tuesday
  • 11:00
台風一過、マヒしていた交通網も復旧しつつあります。
船舶が一番長く影響を受けるんでしょうけど、その次はやっぱり航空機でしょうか。

USTREAMで見ることができる定点カメラに、大阪空港があるんですが、私は意外とこういうのが好きで。
「飛行機の離着陸を定点カメラでとらえていて、それを流しているだけ」って言われてしまえばそれまでですが、なんか好きですよ。
ちなみに、管制のやり取りも入ってますけどね。
台風も過ぎ、すっきり晴れて、離着陸もよく見えるかと思ったら、伊丹あたりは小さな雨雲が流れ込んでいるようで、10時30分ごろから雲でグレーな画面になっちゃって、ほとんど何も見えない状態です。
この映像がエラーじゃないのは、管制のやりとりが聞こえていることで分かるので、気象の影響を受けていると理解できます。
私がちょうど見始めた時は、晴れていると言うほどではないにしても、ちゃんと見えていたんですがね。
1機が離陸しているところで、その後、離陸待ちが3機いてね。
3機の内の先頭の飛行機が離陸してからは、着陸と離陸を繰り返していまして、滑走路はラッシュアワーですかって感じでした。
いやはや、なかなかすごいタイムテーブルですよね、空港も。
時刻表を見ると、離陸も着陸も、5分刻みになってますもん。
しかも、同じ時間の離陸とかあったりして。
着陸は、多少時間が前後することがあるので、ピッタリその時間じゃないことも多いと思いますけど。
だからまあ、管制が必要なんですけれどね。

ところで、離陸待ちの飛行機を見ていて思い出したことがあります。
あれは、アメリカのアトランタかオーランドのどちらかの空港だったと思いますが、飛行機がデッキを離れてから離陸するまでに30分以上も掛かったなんてことがありましてね。
ご存じの通り、アメリカは国土が広いので、国内線だけでも相当数の航空機が飛んでいる訳ですが、その分、空港も広かったりするんで、そんなに離陸待ちが重なることもないとおもうんですよね。
だから多分、どこかの路線が遅れたりとかしたんでしょうね。
その辺りの理由は分からないんですが、やっと離陸する滑走路が見えてきたところで、離陸待ちの飛行機が順番待ちしているのが見えたんですけど、その時点で自分が乗っている飛行機よりも前に10機くらいいるんですよ。
そこまで行くのに結構時間を費やしていたにもかかわらずですよ。
なのでそこからまた少し待たされたわけですが、滑走路手前で右に曲がるようになっているんですが、そこまで来ると今度は、自分が乗っている飛行機の後続が見える訳です。
そうしたら、まだまだ数珠繋ぎ状態で。
そんなに飛行機に乗ったことがある訳じゃないので、今の所、私はあれくらい飛行機が渋滞しているのを他では見たことがありません。
アメリカだからかもしれませんけどね。

それにしても、ただでさえ窮屈な感じのある飛行機ですが、飛んでいない飛行機に閉じ込められているのも意外と苦痛です。
飛んでいる方がまだマシかも。

そう言えば、飛行機も久しく乗ってないなぁ。


 

資源回収

  • 2013.11.02 Saturday
  • 10:35
廃品回収車ってアナウンスしながら走っている車があるけど、あれって信用していいんですかねぇ。
中古品を海外に転売するとか、合法的にやっているのならいいですけど、例えば、部品とか金属なんかだけを取って、いらない部分は不法投棄とかされてたら、それに加担しているみたいで嫌だなぁって思うんですよね。
どうなんでしょう。

ところで、今日は、小学校のPTAの資源回収日でした。
古新聞・古雑誌・アルミ缶・段ボール・牛乳パックなんで、市の資源回収とほとんど同じ内容ですね。
今、これらの資源も大した金額にならないようですけど、行うだけでも市からの助成金が出るので、小中学校で年に数回は行われてます。

私が子供の頃は、同じような内容でも、資源回収って言うよりは、廃品回収って言ってましたよ。
今のように、市の資源回収もなかった時代です。
アルミ缶の回収はなかったと思うんですけどね、時代的にも。
ほとんど、紙類でしたね。
やっぱり、PTAでやってたような気がするんですけど、子供会でもやってたかもしれません。
小学校の場合、6年生はお手伝いに駆り出されてました。
今のように市の資源回収がなかった訳ですから、新聞とかは、こういう廃品回収の時に出すのがむしろ当たり前だった感じでしたので、時間までに家の前とかに出してないお宅があると、わざわざ声を掛けて、あれば出してもらうなんてこともしてましたよ。
今はさすがに、出してある物だけを回収してますけどね。

実家のある町内は、今もそうですけど、専業・兼業に拘わらず、農家が多い土地柄なので、軽トラを所有しているお宅がいっぱい。
昨今のPTAの資源回収は、普通の乗用車とかワンボックスなんかで回収してますけど、軽トラの方が便利で都合がいいですもんね。
回収した資源を乗せて運ぶための車には困らなかったですよ。
で、大方回収し終わって移動するときに、軽トラの荷台に乗せてもらって、回収した中の漫画なんかを読んでたりして。
荷台に乗ってはいけなかったとは思うんですけど、当時でも。
ま、のんびりしてたんでしょうね、時代的にも土地柄的にもね。

まあ、そんな思い出もあるので、我が家には子供はいませんけど、PTAの資源回収って言うと、協力するのが当たり前な考えがあって。
私の親も、私たちが、高校生以上になっても、「自分たちもそうやって協力してもらったから、子供が大きくなっても協力するのが当たり前」と言って、新聞とかはあまり市の資源回収に出さずに、PTAの資源回収で出すようにしてました。
PTAの役とか、子供が上級生になるって、そういうのに参加しないといけなくなると、分かることもありますしね。

ところで、こういう活動って、どこでもやっているのかしらね。
市町村のゴミ収集でも扱っているだろうから、やらないところもありそうですね。
ウチの辺りでも、市の助成金がなくなったら、やらなくなると思うわ。

 

小学生時代の夏休み[プール編]

  • 2013.07.20 Saturday
  • 10:16
今日から大半の小中高は夏休みですね。
まあ、今日は土曜日なんで、通常の土日と変わりはないでしょうけどね。
西隣の小学生兄弟は、朝からめっちゃ、怒られてましたけどね。
ウチの甥っ子どもはどうだろう
まあ、お兄ちゃんはどうせ、部活なんだろうな。

さて、今はどうだか知らないし、学校ごとに違うのかもしれませんが、私の通っていた小学校は、夏休み中に何度か、プールに行かなくてはならなくてさ。
確か、通学団ごとに、日にちと時間が決まってたと思うわ。
上級生は、下級生を連れて行かなきゃいけないし。
授業と違って、自由なんで、楽しいですよ。

で、私は泳げなくてね。
9mしか泳げなかったの。
それが、3年生だったかの話でさ。
息継ぎができないから、9mが限界。
私って、運動全てにおいて、鈍臭かったのね
それで、スポーツは得意だったけど、唯一、泳ぎが苦手だった母に、市の水泳教室に入れられたの。
強制です。
1週間くらいだったかなぁ。
市民プールに通ったのよ。
ま、私の場合は、浮くことはできるし、バタ足で進むこともできたので、もっぱら、息継ぎですよ、課題はね。
それで最終日に、ちゃんと息継ぎをして11m泳げるようになったの。

ウチの学校って、水泳の級があってさ。
6級からだったと思うけど、何泳ぎで何mとか決まってて、3級からは、クロールで何m・平泳ぎで何m・潜水何m・逆飛び込み、なんて複数の課題があってね。
で、これがさ、合格すると、水泳帽に縫い付ける線をくれる訳。
白線1本から始まって、3本で4級。
3級からは黒線になるのよ。
ってことは、誰が何級か、一目瞭然。
う〜ん、なんて厳しい現実(笑)
それで、6級がバタ足で10mだったから、11m泳げたってことは、やっと白線がもらえる訳で、それだけでも、ちょっと嬉しかったですね。
水泳教室に通った成果が、例え2mでもね。

そして、クロールと息継ぎを覚えた私。
その夏休み中に、クロールで25m泳げるようになったのよ〜
なんて素晴らしい
最終的に、小学6年生で、クロールで50m、平泳ぎで100m以上(正確に計測してないけど300とかは超えてたと思う)、潜水15mはクリアしてたわ。
しかも、ちょっと平泳ぎは速かったし。

しかし、ここでまた課題が。
逆飛び込み、つまり普通の、背泳ぎ以外のスタートに使われているあの飛び込みができないのよ
お腹とか胸とか打つし、もう嫌って感じ。
そうしたら、運がいいのか悪いのか、夏休み前に市民プールで遊んでいた時に転んで、左足に2針縫う怪我をしたのね。
当然、水泳だった体育の授業は見学。
内心、「飛び込みの練習をしなくて済む」とほくそ笑んでいた私。
けれど、世の中そう、都合よく行かないのね〜。
市の水泳大会に平泳ぎで出ることになってしまって(どうしてそうなったのか未だに分からない)、夏休みに入って、飛び込みの特訓を受けることに・・・・・・
ま、おかげで、飛び込みもマスターし、中学高校と、水泳で困ることはなかったわ。
ちなみに、逆飛び込みをマスターしてから、胸やお腹を打ったこともなかったなぁ。

それにしても、こうして書いてみると、特に6年生の時の出来事って、なんかギャグみたいだわ。

夏休み、楽しんでください。



高校時代の夏休み[部活編]

  • 2013.07.17 Wednesday
  • 16:37
私は中学高校と吹奏楽部でした。
吹奏楽ってのは、クラリネットやフルート、サックスなどの木管楽器と、トランペットやトロンボーン、ホルンなどの金管楽器、ドラムやマリンバ(木琴みたいなもの)、ティンパニなどの打楽器で構成されるバンドですね。
まあ、弦楽器のコントラバスを使っているところもあるけれど(金管のチューバの代わりです)、基本的には、弦楽器は含まれません。
弦楽器が加わると、いわゆるオーケストラってことになっちゃいます。
まあ、一般的な中学高校では、さすがにオーケストラは無理ですよ。
マーチングバンドってのもありますけど、マーチングは、吹奏楽+動き。
つまり、動いてこそのマーチングなので、マーチングをやっているところが、吹奏楽をやらないってことはないわけだけど、吹奏楽部でもマーチングはやらないってところもたくさんあります。

中学はただ演奏しているだけだったけど、高校は夏のコンクールと秋の校内文化祭のステージ、春休みにあるアンサンブルコンクールが、年間行事の軸でした。
アンサンブルってのは、小編成っていうか、数人で演奏するヤツね。
木管4重奏とか。
で、メインはやっぱり、夏のコンクールです。

ウチの部は、2つのコンクールにエントリーしていて(今はどうか知らないけど)、一方は全国大会まであって、もう一方は、中日本大会までで終わりでね。
運動部と同じで、予選があるわけですよ。
ウチの場合、東三河大会があって、そこで代表になると、県大会に出られて、確か、県大会で代表になると東海大会があって、更に代表になると全国大会出場ってなるのね。
遠い道のりでしたわ〜。
そんなレベルじゃなかったなぁ。
評価は、金・銀・銅だったの。(今はA・B・Cらしいです)
代表は、金賞の中から選ばれるけど、代表枠以上に金賞がもらえることがあるので、金賞=代表じゃなかったのね。
金賞なのに代表に選ばれないことを、“ダメ金”って言ってましたね。
1回ぐらいはダメ金を取った気がするんだけどなぁ。

私の通っていた高校は進学校なので、ウチの部は基本、3年生は任意で参加。
あまり、普通科の3年生は、参加してなかったかな。
商業科もあるので、商業の3年生は、夏のコンクールには出てたと思うわ。

夏休みに入って、1週間くらいすると本番なので、最後の追い込み。
9時〜12時まで、パート練習。
13時〜16時まで全体練習って感じだったと思うわ、確かね。
それこそ、今はどうか知らないけど、当時、音楽の先生が顧問をしてくれなかったので(事情はよく知らない)、顧問は名前だけで、指導してくれるのはもっぱらOB。
ちなみに、指揮者もOB。
めっちゃ怖いですよ。
全体練習で、ちょっと音外したりテンポがずれたりしたら、「そこ、もう一度」ってやり直して、どこのパートが外しているのか探り、更に全体練習なのに、そこのパートだけ演奏させられてさ。
あげくに、「お前のせいで、全体練習が進まない」なんて言われること、日常茶飯事。
代表になれないとお盆前にこのハードな練習は終わっちゃうんだけど、もう抜け殻よ、その頃には。
だからさ、“ダメ金”でも嬉しいわけよ、金賞って言われると。
すっごくマジでやってるからさ、こっちは。
で、代表じゃないって言うので、落ち込んでね。
でも、だからって誰かが責められるわけじゃなく、OBの先輩も、ちゃんと労ってくれて、学校の近所のお好み焼き屋さんみたいなところで、焼きそばをおごってくれるのね。
ウチの部は、「OBにおごってもらうのはOK。労働はNG」って決まってたので、コンクールに行くのに、大きな楽器を運ぶための車の手配や運転はOBがしてくれたけど、積み下ろしは自分たちでやってたのよ。
でも、夏だから、アイスとかもおごってくれるんで、厳しくて怖いけど、みんな結構、慕ってましたね。
指導の時だけだからね、怖いのって。

ちなみに、私はそんな教えるだけの技術もないし、熱心でもないので、OG活動はしませんでした。
今は誰が教えているのかしらねぇ。
私の時代は、顧問が音楽の教師じゃなかった関係で、練習にも普通の教室を使ってましたからね。
あんまりいい環境じゃなかったよね。
でも、ウチの学校の文化部では、一番活動していた部だったな。
他の部なんて、ほぼ帰宅部みたいなところもかなりあったし。
大変だったけど、思い出になるだけいいのかもね。
後輩たちよ、コンクール、頑張れよ。



雨の登校

  • 2013.07.03 Wednesday
  • 10:15
つぶやいたら、ネタを思いついたわ

雨の日に、足元が濡れるのを嫌うきっかけってなんだったかなぁって思って。
で、思いついたのが、中学の頃の雨の日の登校じゃないかと思ったのね。

中学の登校は、歩きでね。
1.6kmくらいでしたかね。
徒歩20分でした。
いろいろあったわ、そういえば。
下校時に後をつけられそうになったり、登校時に猥褻な写真を見せられたり(車のナンバー覚えて先生に報告してやった)、目の前に鳩のフンが落ちてきてギリギリセーフだったとか。
で、雨の日。
20分も歩けば、靴の中までぐちゃぐちゃでね。
今って、レインブーツとかおしゃれなのがあるから抵抗ないかもしれないけど、その当時は、もろ長靴って感じだったんで、思春期の中学生が雨だからって履く訳もなく、みんな普通の運動用の靴を履いていたのね。
でも、当然、防水性に優れているわけじゃないので、靴の中まで濡れてしまってね。
下校時ならまだいいけど、登校時だと、濡れた靴下のまま1日を過ごさなきゃいけないから、それがすごく憂鬱でさ。
裸足に靴を履いて、タオルと靴下をビニール袋に入れて持って、学校に着いたら、足を拭いて靴下を履いていましたよ。
思えばあれ以来、足が濡れるってのがすごく憂鬱でしたね。

ちなみに、高校生になって、今度は自転車通学になったんですけど、そうなると、今度は雨の日の登下校は当然、カッパ着用。
あれさ、女子用の自転車用カッパって、下腹部の下あたりに雨水がたまりやすいんだよね。
で、そこから濡れたりするの。
そうすると、カッパを脱いだ時に、スカートの微妙なところが濡れててさ。
で、それをどう防ぐために、スカートをウエストの部分で何度も曲げて短くして(私が高校生の頃はひざ下が当たり前の時代だった)、あとジャージを履くんですよ。
ま、ジャージなら多少濡れても脱げばいいしってことで。
なんか、そんな苦労を密かにしてましたね、女子は。

高校の時も自転車で20分掛かっていたので、土砂降りになると、さすがにカッパを着ていても、どこかしら濡れるんですよね。
なので、あまりにひどい時は、父に車で送ってもらっていました。(ウチの母は免許を持ってなかった)
8時前に学校に着いちゃうんで、図書室とかで時間潰してさ。(図書室だけ冷暖房完備だったし)
帰りは、今はもう廃止されたけど、当時は路線バスがあったので、それで帰ってましたね。
バスに乗ると、誰も乗ってなかったりするので、運転手さんが、「どこまで」って聞いてくれて、お知らせボタンを押さなくても、そのバス停で停まってくれました。
高校の3年になると、妹が同じ高校に入学してきたので、雨が酷いと、二人一緒に送ってもらってました。

それから3年後くらいですか。
妹が短大〜就職で嫁に行くまで、雨の日に駅まで送り迎えをする羽目になった私でした。

寒い電車

  • 2013.06.03 Monday
  • 09:33
大学生の頃。
と、言っても、短大だったので、通ったのは2年だけ。
その2年間は、電車通学で。
初めてだったのよね、電車通学。
高校生の頃、あこがれてたんだけどね。(高校は自転車通学だった)
ま、1ヶ月で嫌になったんだけど。
夏休みが、7月の10日くらいから2ヶ月あったので、いわゆる真夏という時期に学校に通うことはなかったんだけど、夏休み前は梅雨なんでまだしも、9月はさすがにまだ暑いのよね。
だから、今でこそ、弱冷房車とかあるけど、その頃の電車は、冷房ガンガンで。
そりゃいいのよ、乗った瞬間は。
ひやっと涼しくて。
でも、約1時間乗るのよ〜、電車。
もう寒くて寒くて。
朝と、帰りも早い時とかは、まざと日なた側にいたりしましたもん。
その頃の私は、背中の真ん中あたりまであるストレートロングヘアだったので、電車で寒くならないように、わざとまとめないでそのままにしていましたからね。
学校は、エアコンがないから暑かったけど。
今でも、夏の新幹線はちょっと寒いよね。
女性は何かしら羽織るものを用意している人が結構いるし。
新幹線の場合は基本、長時間乗車だもんね。

冬の早朝の電車も寒いのよね。
特に土日。
東京住みの頃、平均で月一TDRだったけど、冬は朝が辛くて。
6:06の特快に乗るんだけど、もちろんまだ薄暗いし、寒いし、人まばらだし。
始発駅じゃないけど、その車両はその日、最初の走行だから、まだ暖房が効いて無くてさ。
始発の駅から4つ目で時間にして約10分なんで、暖まるわけもないんだけど。
とりあえず座ればそれなりに暖かいけど、人もなかなか増えないからコート着ててもなんか寒くてさ。
胃腸の弱い私は、それでおなかが冷えちゃうんだよね。
もともとトイレも近いので、東京駅で京葉線乗り替え途中にあるトイレに寄ったりしてさ。
乗り替えの京葉線の車両はもう、その日の始発じゃないんで、冷える感じはしないけどね。

冬の電車と言えば、大学生の時、日中にみるみる雪が積もったことがあって。
積もったと言っても、2cmとか3cmとかな話なんだけどね、名古屋だから。
でも、私の地元の辺りでは、日中に積雪があるなんてめったになくて。
雪が降っても、なかなか積もらないのよ、日中だと。
だから、足元が怖くて、駅まで15分くらいの道のりなんだけど、友人とただひたすらもくもくと歩いてさ、滑らないように。
で、駅に着いてホッとしたんだけど、足先は凍るように冷たくて。
あの時、電車の暖かさがうれしかったなぁ。
しかも、電車のヒーターって座席下にあるから、足が温まるし。
ちょっと生き返った気分だったわ。

あれ
そう言えば、この間電車乗ったの、いつだっけ
多分、今月も乗らないと思うけど、前回乗ったのもいつか分からないくらい前だっけか。
3月は乗ったと思うんだけどな。
来月は乗る予定。
多分、寒い電車。
ま、仕方ないけどね。



遠足

  • 2013.05.10 Friday
  • 09:36
2日前の買い物帰り、って言っても、午前9時30分にならないくらいだったと思う。
校区の小学生が遠足で歩いているのとすれ違いまして。
1年生みたいでしたね、あの感じだと。
あとで調べて分かったんですが、その1年生が遠足で向かった所は、そのすれ違ったところの数mくらいの位置で、もうほとんど目的地に着くくらいだったんですよ。
ま、1年生で初の遠足ですもん、大して遠くには行かないですよね。
どうでしょう。
1年生くらいの足で、30分くらいですかねぇ。
引率の先生方は大変ですけど。
歩道があるところとは言え、側道もあるし、信号もありますもん。
どうせ、前に着いていくだけで、大して周囲に注意を払う訳じゃないですもんね、一年生ですから。

思えば、私の小学校での初遠足も、校区内のちょっと大きめの公園でしたね。
学校からは、15分くらいですかねぇ、子供の足で。
私の自宅からは学校よりも遠かったので、遠足気分は十分に味わえた気がしますけど、その公園のまん前に住んでいるクラスメイトとかいたりして、なんか、そういう子にとっては、遠足気分なんてなかったんだろうなと思います。

小学3年生だったかの春か秋か、どちらか忘れましたが、病欠した記憶があります。
確か、岡崎公園だったか、岡崎東公園だったかが行き先だったと思いますけど、当然、行ってないから記憶にない訳で。
じゃあ、なんで覚えているかと言うと、後日、遠足のことを作文にしないといけなくて、書けなかったと言う思い出があるからです。
ちなみに、先生にそう質問したら、その前に行った遠足について書きなさいって言われましたよ。

小学校の遠足で一番覚えているが、小学6年の3月(だったと思う)に行った、「卒業遠足」。
今でもあるかどうか分からないですし、同市内の他校でも行ってたかどうか知らないんですけど、ウチの小学校はあったんですよね、卒業遠足が。
その時に初めて明治村に行って、すごく感動したんですよ。
あれから何度か明治村には行きましたけど、最近は全然行ってないので、一眼レフを持って行きたいです。
そういや、私は愛知県民なんで分かりませんけど、名古屋周辺に修学旅行で来ると、明治村とかリトルワールドとか行くんですかね。
あとは熱田神宮とか、ちょっと足を延ばして伊勢神宮とか。
リトルワールドも高校の遠足で行ったなぁ、そう言えば。
大阪市内出身のウチの夫は、小学校の遠足で、法隆寺に行ったと言ってましたよ。
やっぱり地域色ってあるよね〜。

ところで、小中学校の遠足には、普通に学校のジャージで行きましたけど、高校ってどんな服装で遠足に行きましたか
ウチの高校は基本、制服でしたよ。
まあ、制服で行けるような所ばかりだったし。
他校の友人に聞いたら、そこは制服がブレザーだったんだけど、ジャージにブレザーを着て行くんだって言ってました。
すごく恥ずかしいらしい。。。
ウチの高校はセイラー服と学ランだから、ジャージと合わせるなんてもっと有り得なかったけどね。
あと、学年ごとに行き先の候補がいくつかあって、各クラス多数決で決めるので、学年全部で同じところに行くことがなかったです。
リトルワールドに行った時も、ウチと理系の男子クラスの2クラスだけでしたもん。(学年10クラス中で)
帰りの電車で、名古屋市科学館に行ったクラスと一緒になったのを覚えてます。
中学の遠足は、山に登ってばかりだった気がしますけど、高校は結構、遊び感覚でしたね。
しかし、なんで高校まで遠足ってあるんだろうね。
思えば、高校で遠足に行く意味が、良く分からないや。
ま、遊べて良かったけど。


天声人語のノート

  • 2013.05.04 Saturday
  • 14:43
『天声人語』は言わずと知れた朝日新聞のコラムです。
試験問題にも引用されることもあって、有名です。
これを書き写す専用ノートがあるのも、かなりの方がご存じだと思います。
類似品では、学習用ノートとか脳トレもありますが、全て、朝日新聞社から出ている物です。

書き写しノートは、そのまま、とにかく書き写すだけで、すこしだけメモ欄みたいなのがあるので、例えば、読めなかった漢字を書き出しておいたりとか、意味を調べた単語を書き出しておいたりする欄として使えます。
学習用は、そういう欄が初めから用意されているノートです。
脳トレ用は、天声人語を1分間集中して読んで、見ないでどこまで書けるか、つまりは暗記して書くためのノートです。

ところで、私が中学1年の時だったと思うんだけど、この学習用ノートと同じ内容の宿題が夏休みにありましたよ。
新聞一般紙には、朝日に限らず、コラムがあります。
だから、何新聞でもいいので、毎日、コラム欄をスクラップして、それを書き写し、読み方が意味が分からない言葉などを書き出して調べるのと、あと、感想か何か加えたような気がしましたけど、そんな内容のノートを作る宿題でした。
小学生が漢字の書き取りをする宿題があるのと同じようなもんかな。
ウチは中日新聞だったので、『中日春秋』です、コラムって。

大人がこれをやるのも悪くはないけど、社説くらいの方が、本当は意味があるかもしれません。
ま、文字数が多いけど。
でも、読んで感想を述べるだけでも、意味はあるかも、同じような。
自分で感じて理解して考えるってことですよ。

でも、正直なところ、宿題でこれっていうのも、案外、面倒な物で。
毎日やることに意味があるのは分かっていても、毎日なんて面倒なんだよね。
って、そんなこと言ってるから、馬鹿になるんだけど。
私って、毎日コツコツやるのが、苦手なんですよね。
苦手だけで済ませていいのかって話ですけど。
今でもこういう宿題ってあるのかしらね。
これを宿題でやっている人、頑張ってください。
面倒って言いながら、一応、やりましたよ。


お昼寝

  • 2013.04.11 Thursday
  • 13:42
保育園のお昼寝も始まったみたいですぅ。
お昼寝用のお布団を持って保育園に向かう親子を見かけましたよ。
近所に保育園があって、さすがに車で送迎だと分かりませんが、ごく近所の方はやっぱり、徒歩や自転車で送迎するので、お布団セットを持っているとすぐに分かりますよね。

お子さんをお持ちの方はお分かりでしょうが、幼児でも、お昼寝する子と全くしない子と、子供によって全然違いますよね。
甥も、お兄ちゃんはお昼寝しない子で、弟は幼稚園に通い出したら全然お昼寝しなくなっちゃいましたね。
幼稚園はお昼寝がない方が多いと思いますけど、何かと疲れるのか、帰宅した途端寝ちゃう子もいるって聞きました。
そうかと思えば、帰宅後も元気に遊びまわっている子もいますよね。

私はお昼寝しない子でした。
保育園に通っていたので、お昼寝の時間があるわけですが、おとなしく横になっているだけで、寝たのなんてほんの数回でした。
年長さんの時、お昼寝時間になると、自分の布団を取りに行って、好きなところに自分で敷くんですよ。
それで、出入り口の近くの寝ていても外が見えるところの場所を取って、そこから新しく建築中だった園舎の工事を見て過ごしていました。
今思えば、たかだか6歳くらいでも、いかに暇をつぶすかって考えていたんですね。
ごそごそすると怒られるし。

ところで、寝つきが悪くて眠りの浅い私ですが、昼寝すると余計に寝付けなくなるので、日頃から昼寝はしません。
専業主婦なんで、「3食昼寝付き」なんてのも有りなんでしょうけど、すっごく眠い時は、15分くらい仮眠程度、椅子に座ったままで寝るくらいですね。
ガッツリ昼寝すると、かえってだるくなりますし。
ちなみに、マッサージ器のマッサージ1回が、大体15分なんですが、目を閉じてマッサージしていると、寝ちゃったりします。
これもまあ、うたた寝程度ですけどね。

ああ、ちょっと寝不足な感じなんで、ここ数日、昼間は眠くなります。
今日は早く寝よっと。


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